ヴィロヴィティツァ (Grad Virovitica)
1234年、ベーラ4世によって帝国自由都市の特権を得ている. 1242年には現在のクロアチアの首都であるザグレブも同じくベーラ4世より自由都市の権利を得ており、金印勅書においてそのことを知ることが出来る. 当時、ハンガリー王国の支配下にありヴェレーツェ(Verőce)と呼ばれており、夏には王族の避暑地として好まれていた. ベーラ4世の妃であるマリア・ラスカリナや弟のカルマン公が良く滞在したとされる. モンゴル帝国が侵略しハンガリーを放棄した後、都市には木製の要塞や堀が築かれ水が引かれた. 1280年代から1290年代にかけて、フランシスコ会やドミニコ会の修道院について言及されている. 1552年から1684年にかけての約120年間はオスマン帝国によって支配されていた.